どんなものにも善と悪どちらの顔もあります。心の傾き次第で善なる扱い方も悪なる扱い方もできるものです。それはすなわち一目では善悪の判断はできないということです。

どんなものも善と悪にもなれるということは、本来は善と悪どちらでもない中道ということです。役割や心の用い方次第で何にでもなれてしまうものです。それは人の心も同じです。本来、人も中道な存在ですが心の持ち方で善悪に傾き型に当てはめてしまうのです。型に当てはめることが全て悪いことではありません。しかし、己が考えている理想とかけ離れた道や悪なる道に進み己を型にはめているのであれば、心を一度中道に戻すことも一つの選択です。中道な考えができればどんな束縛された考えをしていたのか気づくことができます。中道になり己を把握できればより自由に生きていくことができます。

尊生道
覚理 怜良命念