人が間違いを犯していたら注意をしたくなるものだと思います。しかし、その注意一つで人は修正できるものではありません。改善を望んで注意を行おうとするのであれば、その注意を止めることです。注意をすることは意味のないことだからです。そもそも人は、注意を受けたところで反省をしようとはしません。さらにはその注意の話そのものを聞き及んではいません。

あなたが指導する立場なのであれば知るべきことがあります。それは注意を受けて反省しどうするべきなのか考えて行動できるのは謙虚な人間にだけ与えられた特別なことだということです。己が偉いのだから己の話を聞くべきだと考えたとしても聞き手が聞く耳を持ち合わせていなければ意味のないことです。話というものは話し手を基準に進むのではありません。聞き手を基準に進むのです。今私の話を読んでいるのもあなたが聞く耳を持ち合わせているからにすぎません。

それではどうするべきなのか。人はいきなり謙虚にはなれません。謙虚であるということは最も難しいことの一つです。謙虚にさせることもできません。ただ人は信頼している人の話であれば耳の痛い話でも聞こうとします。だから信頼に足る言動をとり、まず信頼させることから始めなくはなりません。信頼されてはじめて聞く耳を持つものです。

尊生道
覚理 怜良命念